形をなして飽和するということ

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    もう長い間、出演情報以外のブログ記事を書いていなかったのですが、衝動的に書こうと思いました。

    考えながら書きますが、飽和ということから文章をスタートさせようと思います。

    飽和したところが自分をさらに一段階変える(変わる)地点だと思い込んでいるところがある。

    つまり、今手に届く範囲の色んな経験をかなりやった地点やある特定のことを自分なりにかなりやり尽くした地点、そこで何かが飽和したと感じた地点で新しい段階に移行する準備ができたと考えているのです。

    ちょうど今がそういう時期だと考えているのでこの文章を書いているわけですが。

    本当に、周囲の状況が大きく変わっている気がします。

    ここ数年はある程度のスパンで物事を見ていると、変化ということがずっと起きていますが、ようやく新たな展開に至る端緒に差しかかった感覚です。

    それはより深いものを皆様の前に届けられる入り口に差しかかったという感覚なんです。

    飽和するためには、様々なことを知ることと掘り下げて物事を知ることの両方が必要だと漠然と捉えています。

    これに自分で考えるということも含めないと深くはならないかもしれません。


    ある特定の事柄を続けていても、強度が増すばかりで深くはならない気がする。
    いや、深さはある程度得ることはできても、いずれそこである種の飽和をするというか。

    それは今回書いている飽和よりも小さな飽和で、壁にぶち当たるような感じです。

    壁にぶち当たりながら、色んなものを知ると、それが何か繋がりをなして、大きな形をなすような感じになります。

    そこで一回り大きなものが見えるわけです。


    なんだか抽象的な表現ですね……。

    なんというか、白紙に鉛筆で点を打ち続けて形を作ることを考えてみてください。

    ある地点にずっと点を打ち続けていても、その点の濃さが増すだけです。
    点の濃さだけでも「ここに点というものがある」ということは伝えられます。

    でもそれだけです。

    その濃い点がある状態で、その周囲に点が打たれていくとそれは「星座」のような形になっていきます。
    (もちろん点の濃さにこだわらず点で形を作ることもできます。しかし点が極端に薄すぎるとそもそも見えないわけですが)

    その形ができた瞬間に、形の外というものがあらわれるのです。
    場合によっては形ができたことで、さらにどういったところに点を足して形を変えていけばいいかもわかります。

    それが外があらわれた状態です。


    今回飽和といったのは、形ができた段階のことを指しています。
    形ができてもうこの形としか言いようがない段階が飽和です。

    (小さな飽和というのは一つの点を打ち続けていて、これ以上打っても濃さが変わらないような段階のことです)


    きっと人間には自分の知識や思考を俯瞰する能力があるんです。

    飽和とは自分の考えの形ができた地点で訪れる俯瞰のことだといってもいいかもしれません。

    知識とか思考とか、考えとか、そういう書き方をしていますが、これは技術等の実践に関する知も含めています。

    なので、今回書いたことはかなり現実的なことに関する文章にもなっています。


    自分の考えがうまくここで表現できたかわかりませんが、今自分が到達した地点がそういった飽和だということを自分自身が確認したかったというのが一番の動機なんでしょう。

    もし皆様に今回の文章が何かを喚起できたらさらに嬉しいことでもあります。

    これからはまた、たまにこういった考えについての文章も書いていければな、と思います。

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    Category: 日記

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