自らの衝動を恐れても……

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    大きなスパンで物事を見ると、自分の歩みが見えてくることがあります。

    そして思い返してみると、自分は昔から今の歩みに向けて何か準備をしていたのではないかということに気づいたりします。

    今日はそういう自らの歩みを大きく捉えることについて書いてみようと思います。

    昔から自分は「まさか自分に限っては特別なことなんて何一つあるはずはない。周りとほとんど変わらない人生を送るんだ」と思ってきました。

    多少、他とは違う歩みになる時があっても、それはたまたまだと思い込んで、今回だけは例外だと思っていました。

    そして、ひどいことに、自らが他とは違ってもどうしても進めたいということがあっても、ほとんど無視していたのです。

    それは、私に限って特別なことなんて何もない、だから、自分が進めたいことは上手くいかない、と思っていたのです。


    ある意味でマジックで活動するということが、そうだったのかもしれません。
    小さい頃にはマジックを人前でしっかりと見せていくなんて、信じられなかったのです。

    私がそういう人間になることを、私自身が信じていないようなところがありました。

    この話で重要なのは、私がマジックをもっと色んな人の前で実演していき、自分自身の成長や皆様へ何か提供することを望んでいたにもかかわらず、それを信じられなかったということです。


    なかば、そういう特別で独特であっても気にせず進んでいくことを恐れていたのかもしれません。

    自分が特別か否かはあまり気にすることなく、ただ進めば、進んでいけたんだと思います。

    なぜそれを恐れていたのかは、いくつかの理由があるでしょう。

    道を外れす際の、孤独な感じはあまり心地よいものじゃないからです。
    不安もあります。


    私の衝動のようなものは、それでもやりたいと思い続けてきました。

    衝動の先にあるものを私は恐れてもいました。

    孤独に進む恐れではなく、自らがなしてしまうことについての恐れです。

    それは、もしかしたら、衝動を持ち進みたがっている自分から脱してほとんど別人になってしまうことだからかもしれません。


    ある意味で、自らを消滅させ、新しい自らを生むことは、わくわくすることもありますが、恐ろしいことでもあるでしょう。

    しかし、それでも……。

    そう、それでも、自らの内にあるものは消えることなんてないんです。


    安易な形での衝動というものには、私は否定的なイメージを持っています。

    しかし、衝動が深いところでずっと続くものならば、それは自らの真意に近いところにあるものだと思います。

    思い返してみれば、この不快ところにある衝動が私の今までの歩みを形作っていた気がします。

    言ってしまえば、私は自らの内にあるものを裏切ることができなかったのです。

    結局、表現したくて、形にしたくてたまらなかったのです。


    今回は不思議と、自らの内面をあらわすような文章になっていますね。

    タロットに関する記事のときにはそういうことはありますが、内面をそのまま提示するようなものは珍しい気もします。

    私は、このブログではどちらかと言えば、風景とそれを捉える心情を合わせて書いていると思っていますから。


    皆様も、思い返してみれば、過去の多くの地点で自らが向きたがっていた方向が見えてくるかもしれません。

    いつもこういうことに進みたがる傾向がある、ということを発見するわけです。

    そういうものは、私の考えでは、これからも続くものだと思います。

    たとえそこに向く目を別のところへ逸らしたとしても、結局は向きたがっていた方向にふとした時に戻されてしまうからです。


    私は、そういったものに気付いてしまった時に、やるしかないと進むことを自らになかば強いてきたように思います。

    そして、進み始めて慣れてきた時に、大きなスパンで自らを顧みると、もっと多くの面で自らがそこに向きたがっていたことに気づき、さらには色々なことがそのことの準備だったように見えてきます。

    安易に、ものの意味とかそういうことを語ることはしたくないのですが、こういう過去の諸々を見据えた末で今の歩みを見ていくと、そこにこれまでの歩みの「意味」が見えてくるような気がします。

    結局のところ、目を逸らしたつもりで別の方を歩いてみても、視線は向きたい方を向いていくので、遠回りのような形でももともと行きたい方向に人は行ってしまうという印象ですね。


    そういえば過去にタロットの付き合い方について書いた記事(こちら)はこの辺りの事柄を、タロットというビジュアルや象徴、そしてイメージを利用することで仮にでも押し進めていく方法だったといえるかもしれません。


    今回はふと思ったことを、ざっと書いてみましたが、いかがだったでしょうか。

    少し抽象的にはなりましたが、何か思い当たるものが皆様にあればとても嬉しいです。

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    Category: 日記

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