背景にある事柄へ

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    背景に流れる音についての話です。

    抽象的な話になります。
    そして、空虚をつかもうとするような話にもなってしまいます。

    是非、皆様も何もない空間そのものをつかもうとするように読んでください。

    これでもしかしたら3度目になるかもしれない。
    1度目はこれ、そして2度目はこれ


    どちらも同じことを言っているように思います。

    無音になったときに際立つ音を聴くということ。


    目を閉じる、無音に向けて聴覚の範囲を広げてみる。

    そうすると意識まで広がった気になります。


    昔、この世の背後は混沌だと思ったことがありました。

    一見秩序だったこの世界は、一つ表面を剥がせば混沌のようになっているに違いないと思ったのです。


    映画『マトリックス』で、まさにこの世の表面を剥がしたようなシーンがありますが、あれは世界の裏にある秩序を明らかにするようなシーンでした。

    その秩序が混沌となっているイメージです。


    昔はそれを混沌と呼んでいたのに対し、今は私はそれを空虚だと呼んだり無音の中にある音と呼んだりしているのです。

    敷き詰められたものの裏にはもう何もないのです。
    少なくとも敷き詰められていたそれはないのです。

    無音が音だなんて、おかしいのです。

    無音の中の音と言っているのですが、無音自体が音となっていることを想定していっているところもあります。

    このことは、私自身が事柄をつかもうとして述べているものなのでかなり揺れがあります。

    もしかしたら以前書いたものとは矛盾することもありえます。

    これを読む皆様はその事柄そのものにいたってほしいのです。


    私のパフォーマンスも同じです。
    パフォーマンスを通して事柄に到達してほしいのです。

    私も到達したいのです。

    その意味では、パフォーマンスによって私たちは共にとある事柄に向かっている、それが私のショーでもあるということもできます。

    するとこれはひとつの儀式なのかもしれません。

    それはなにか的を射ているでしょう。


    儀式の遂行、それが私のパフォーマンスで、そこから事柄に皆様は到ることができる、それこそが私がしばしば語る無音の音でもあるわけです。

    今回は言葉で何かを伝えました。
    その一端でも伝わる方がいたらとても嬉しいです。

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