不可能な世界をあらわすこと

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    見えないものを手に取りたい。
    そんな気持ちでいます。

    私の手元にある私の未来を言葉という仕方で今形にしたいのです。

    今回はそれを掘り下げるための文章です。

    まだこの一年を振り返る文章は後に書こうと思っているが、この一年で見えてきたものはあります。

    一個人として埋めなくてはならないという切迫感を持った箇所が自らにはあり、そこに何か詰め込みたかったのです。

    それは飢えや渇望だったのでしょうか。

    たぶん「はい」と認める部分も大いにあります。

    しかし、やはりそれだけではありません。

    その箇所は欠けているものでありながら、同時に外側にあらわしたい部分でもありました。

    それをどうにか、あらわしたかったのです。


    ただ、今回はもっと先のことを書きたいのです。

    もともと私が見ていた風景をあらわすような表現を、私は求めています。

    結局、それを満たしてくれる表現はほとんどありませんでした。
    厳密に言えば、世の中のほとんどがそういう表現ではなかったということです。

    九割九分がそういう表現ではなく、その残りが私を埋めてくれるのです。

    その割合はおそらく今も変わりません。

    日常の中にあるものは、私を満たすものの入り口になりえないのです。


    「不可能」であったり、「見たことのない光」であったり、そういうものを求めています。

    この世の中には叶わなかったが、今もそれはこの世に伴走して存在し続けているもう一つの世界があるとしか想えない気持ちになります。

    それをこの世界にあらわしたいのです。

    私が「あらわす」を「表す」とも「現す」とも書かない理由は、「表す」ことが「現す」ことに繋がっているからなのです。

    私が何かを表すことで、そのもう一つの世界を現したいのです。


    では、それはどういう世界なのか。

    張り詰めていて、ざらついていて、そして古くには存在していたように見え、しかし実際に過去には存在しなかった、そんな世界です。

    魔術というイメージは、私のそのあらわしたい世界の一部をなしているのでしょう。
    魔術に何か別のものが重なっているのです。


    もっとリアルに、不可能をあらわしたい。
    今ではもうありえないざらつきを皮膚感覚として感じるように体験してほしい。

    日常から非日常へ連れていくわけではないのです。
    異世界に連れていくのでもないのです。

    異世界をこの世にあらわしたいのです。

    それは、私にとってその異世界こそが最も落ち着く場だから、です。

    そしてその場に落ち着く方が私以外にもたくさんいることを知っているからです。


    いつも成し遂げたいことの入り口に立った、玄関口に立ったと思ってしまいます。

    今も、ここにきてやっと、入り口に立ったと、また、思っています。

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