理性の奥にある生々しさ(「フランシス・ベーコン展」感想)

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    本日、豊田市美術館で行われているフランシス・ベーコン展に行ってきました。

    今回はその感想を書いていきます。

    まだ見てきて時間も経っていないので、なぜか熱が入ってしまいそうです。

    フランシス・ベーコンの存在を知ったのは比較的最近のことでした。

    実は今回と同じ豊田市美術館でシュルレアリスムに関する展示が行われたのですが、その際にベーコンを知りました。

    あたかも私が普段あらわしたくてもあらわせないでいる感情を、生のまま描こうとするスタイルに衝撃を受けたんです。


    そういう意味で、感情や身体を生々しく描く画家だと勝手に思っていたのです。

    たまに絵を見るくらいで、いずれ直に触れてみたいと思いながら、今は距離を置いておきたい。
    私にとってベーコンはそういった画家でした。


    今回の展示は、非常に面白かったです。

    初めてベーコンの絵を見た時とは違う印象も加わったことが、今回感じた面白さの大部分でしょう。

    すごく理知的な面が強調されて私の前に立ち現れてきたんです。

    ベーコンの絵といえば、肉の生々しさとダイナミックさを区別せず描くところが魅力だと思うのですが、実は人間の肉に当たる部分の他はかなり写実的に描いているんですね。

    そこに驚きをおぼえました。

    今までそんなこと気づきもしなかったことが少し恥ずかしく思えるくらい。


    それは人が、普段服を着て着飾った姿を持ちながらも、肌に当たる部分、肉は隠し切ることができないという事実をあらわにしているようでした。

    その肉の部分が私たちの直接的なもので、そこで私たちは生きているんだと主張されているような……。

    服や周りのものは写実的に描かれている分、そういったところが際立って感じられました。


    今回の展示は土方巽にも焦点が当てられていて、舞踏の要素に言及するものでもありました。

    まさに身体の画家ベーコンを際立たせるものとして舞踏はうってつけだと思います。

    ベーコンに影響を受けた身体的なパフォーマーもいて当然だな、と思わされました。


    顔というにはなかば崩壊したようなもの。
    叫んでいる人ではなくて人が叫びとかしているようなもの。
    人の動きがそのまま残ってしまったような肉体。

    そういったものが描かれているのに、なぜか惹かれてしまいます。
    さらには親近感までおぼえている自分がいます。

    それは、理知や理性といったものの奥に、私が人間の生々しさを見ているからかもしれません。

    そこに人間の人間らしい部分を感じているからかもしれません。

    そんな奥にあるものをえぐり出すような、少し危険を感じる事柄に興味をおぼえてしまいます。

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