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魔術師から見た日常と非日常の記録
昨日の8/14、詩のあるからだに初参加してきました。
詩のあるからだは毎月開催されているオープンマイクのイベントです。
会場は八事のCafe&Bar POPCORNでした。
非常に個人的な気持ちを中心とした感想です。
ポエトリーリーディングや朗読を基本としたパフォーマンスが昨日見た限りでは主だったように思います。
詩人の方たちの自由さを全身で浴びきって、深みに落とされるような、充実した時間でした。
スタート直後の自由を感じさせる予兆のようなものに、私もつい参加表明をしてしまって……。
手元にあったトランプのみを使って、実験したかったことを二つほど。
結果も見えず安定しない実演をしてしまい、できはまずまずと言ったところでした……。
普段こちらから表現しようとしている意図的な緊張感ではなく、よりリアルな緊張感が出てしまったようにも思います。
それがその場に居合わせた人の心にどうあらわれたか、気になるところでもありますけど。
でも、リアルな緊張感というのも決して悪いことではないのかもしれません。
そういうリアルな気持ち、ずっと忘れちゃいけないんだなって、こっそりと思っていたり。
安定と不安定のバランスが絶妙にとれることが私のとりあえずの目標だと再確認しました。
自由というものは、簡単に言葉にできても実現不可能なものということはよくよくわかっているつもりです。
それでも昨日は、自由が形をとってあらわれるというのはこういうことだという様を垣間見たように思います。
歌も、ピアノの演奏も、弾き語りも、ラップも、ポエトリーリーディングも、朗読も、昨日あったたくさんの形が統一されないところにある統一性をあらわしていたようです。
即興性とは違う、「その場」性がパフォーマンスには込められてしまうところがあると思うのですが、そういう趣きが昨日は非常に強かったです。
言葉にすると少しずれるのですが、「生々しい」感じをたくさん受けました。
それに更にざらついた感じが加えられると正確かもしれません。
何より個人的には言葉の力を思い出させてくれたような不思議な感覚がしています。
詩に触れる機会はそういった感覚に強くさせられますね。
本当は、昔、私も自分なりに言葉に向き合っていたこともあるんですけどね。
言葉の力を忘れていたわけじゃないんです。
むしろ言葉の力を信じ切って、言葉の中に浸かりきっていたからこそ、力を意識しなくなっていたような感じがします。
それは意識しなくなるほどに安定していたようで、それに無意識にこだわり続けてしまっているという不安定さでもあるのかもしれません。
このブログの内では、制限された形でありながらも発揮されている言葉での表現でしかありませんが、今は私の頭の中で自らのパフォーマンスのあり方に刺激を与え続けています。
何だか今回の内容は自分で書いていて不安定に思います。
それでも、たとえ恥ずかしくても自分らしくあることは誇れるようになれれば素敵なことですし、表現を超えた先にある生きる上でのプロフェッショナルであることを目指していれば、その途中にある不安定さも心地よく思えることがあるのかもしれません。
長々と書きたくないので、昨日の私なりの答えはここまでにとどめておきます。
これからも参加して安定と不安定の間で試み続けてみたいと思っています。