薔薇の色と香り(小栗虫太郎「薔薇占い」)

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    先日、昭和の推理作家である小栗虫太郎の作品集を眺めていたところ、目を引く作品があり、それを読んだところ、とても興味をおぼえました。

    「マジックと魔術の間」という私自身の実演に関して色々と想像力をかきたてられるところがあったというのが興味をおぼえた理由の一つです。

    今回は小栗虫太郎の「薔薇占い」を紹介します。

    「薔薇占い」は文庫で4ページほどのエッセイです。

    このタイトル自体は編集者によって与えられたものだそうです。
    (おそらくこの編集者は雑誌「新青年」の編集長で作家でもあった水谷準でしょう)

    さらに編集者は原稿の依頼の際に薔薇を封入し、これを天井にぶら下げて、その下で書け、と小栗に命じてきたそうです。

    果たして小栗は、その趣向に従ってこのエッセイを書いたのでしょうか。


    このエッセイでは薔薇についての2つのエピソードが語られ、そこから連想してミステリについての小栗流の考察がされています。

    白薔薇は純粋や潔白、紅薔薇は恋の真心をあらわすことから、それぞれ本格ミステリと変格ミステリが連想される。

    (本格ミステリはトリックや謎ときを重視したもの、変格ミステリはそこから外れ怪奇やSFといった趣きをもったもの、と私は捉えています)

    これらの薔薇も、褪せてしぼんでしまう際には黄ばんでしまうが、これは恋ざめをあらわす黄薔薇を思わせる。

    ミステリ作家の仲間内では白(本格)だ赤(変格)だと区別して述べたてているが、世間では色の区別がつかないような、黄色く褪せた二輪の薔薇を見ているのではないだろうか。

    ミステリに対する世間の目は、恋ざめのようなものではないか、という小栗の声が聞こえてきそうです。


    ただ、それらの薔薇でも香りは残り続けると小栗は言います。

    そして、そのような、たとえ色褪せて朽ちた後にも残ってしまう香りのような作品をミステリの大家は残しているのではないか、と。

    小栗には強い香りという形容では足りないほど濃厚な作品『黒死館殺人事件』があります。

    この作品ほど、上で言う白か赤かといった区別をし論じることを無視しようとしたものはないとも思えるのですが……。

    ちなみに、このエッセイを書いた時、既に『黒死館殺人事件』は連載し終えており、そんな小栗がこういったことを述べているのが面白くも感じられます。


    後半のエピソードについても少しだけ書いてみます。

    そこで薔薇とアザミが対比されています。

    美しさやトゲによって武装されている薔薇は、アザミに対して最初勝利するが、いたずら小僧の目に止まって引き抜かれる際には、根の深いアザミの方が茎と葉のみを抜かれるだけで済む。

    根の浅い薔薇が引き抜かれる悲鳴を、アザミは地下で聴いている。

    この根がミステリの論理的魅力に当たるのではないかと言います。

    そして、薔薇のようにけばけばしい割に、論理的魅力のような根のない当時の日本のミステリは、ほとんどが読み捨てられ、大半が後世に残ることなどない、などと小栗は書いています。

    小栗は日本のミステリについて憂いているようですが、もしかしたら自虐的な意味合いもあるのかもしれません。


    このエッセイの最後には、編集者の命じた趣向についての「謎とき」を、もう1つのエピソードとともにしているのですが、さすがにこの点については伏せておきます。

    個人的にはとても面白いところがあったため、紹介だけで長くなってしまいましたね。

    一旦ここで区切って、私が想像力をかきたてられたことに関しては、また後日書くことにします。


    補足(2013.8/15)
    続きにある内容をこちらの記事で書きました。


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    (2000/12)
    小栗 虫太郎

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