動機について

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    渇望が動機だ。

    いつも自分の身をこの目で確認しても、何も成していないと思う。

    今回も抽象的というか、そういった話です。
    たとえ数少なくとも共感していただける方がいれば、と思い書きます。

    色んな表現者と知り合った。
    その全ての方に表現の動機を聞いたわけではない。

    思い返してみると、わざわざ「なぜ」と聞くこともしない。

    そんな動機を聞いてもはっきりと答えられるものだろうかと思う。

    きっかけなら、たくさん言葉にできると思うが。


    私の場合、「つまらない」とか「自分の成し遂げていない感覚」とかが動機に近いと思う。

    冒頭では渇望が動機そのものと書いたが、正確でもないと思う。


    周りを見渡して、この世界を確認すると、「違う、この世界はこんなもんじゃない」と思ってしまう。
    いつからこの世界はつまらなくなったのかという思いが湧いてくる。

    「子供の頃は無邪気に笑えた、それが懐かしい」

    つまらないという思いは、こんなよくある言葉であらわされる気持ちと近い部分もある。

    でももっと、根本的な感じがする。

    例えるなら、生まれた時に周りを見て「おかしい、この場所を選んだときここはもっと面白いって知っていたはずだ」とつぶやき違和感を感じるような……。

    その「面白い」を私が顕現させなければならないという使命感に似たものがどこかある。


    最近よく、ツイッターで「私はこれからもっと面白いです」と書いてしまう。

    それはずっと自分が生きていて、自分の人生に向けている言葉とも近い。

    これからもっと面白い。

    それは当たり前だと思っている。

    なぜなら、多くのことを知れば知るほど、そしてそれらのことが相互反応した結果、深いことがわかればわかるほど、面白いことがわかってくるから。

    そうすれば、面白いことができるようになるから。


    私の動機は、面白いことへの渇望、それをこの身で成し遂げたい衝動、そういったものだ。


    何だか、翼を持っていたとしたらそれが折れてしまったような……。

    あまり気の利いた表現ではないけど、そういう感覚がよく当てはまる。


    ふと、書きたくなって書いてみました。

    私も、この世界も、まだまだです。

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